他人を生かしておくこと

人間は本当の自分や真実の愛を探しているのか?

 

地球上の生物はただただ、ひたすらに生きるのみだ

それ以上でも、それ以下でもない

脳が発達した人間は、それをどこかで理解しながらも

自意識から逃れることができない

宇宙は、地球は、私達はなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのかを知りたがる

もちろん、いつまで経っても答えなど出ないから

自分なりに解釈したり、他人の解釈に賛同したりして、無理矢理答えをあてがう

 

身体の優秀さは見た目や数字に表れるが

精神の優秀さは測定も推測もできない

精神疾患は脳の機能の病であり、それも身体の類に入る

ここでいうところの精神は人間の本質だ

社会形成の途中で強者や多勢やマジョリティで霞んでしまったもので

善悪でも正誤でもなく、強弱でも広狭でも高低でもない全く別の軸

「ない」ものを「ある」と言い出したり

「ある」ものを「ない」と言い出したり

そんな賢くも愚かな多様な人間の実態を

否定も批判も審判もせずに

「違い」と「人知が及ばぬ」現実を受け入れること

それが精神の優秀さであろう

 

多様性の究極は”他人をあるがまま生かしておくこと”

愛憎など遥かに超越した座標

他人をあるがまま生かそうとするのは時に非常に厳しいものだ

自分が嫌う者、苛立つ者、受け容れられない者や

自分を嫌う者、裏切った者、傷つけた者達を

どうにかしようとせずにいることは苦行だ

何もしないことが正しい判断や善い行いであるわけでもないだろう

自分もあるがままで生き、他人もあるがままで生かすという

時に相容れない両極の間で行き来するのが精神の軸なんだと思う

本当の自分も真実の愛も

両極を結ぶ線を見つけられなかったり見失ったりした時に

精神の軸にはないはずの”形”のようなものとして視界に現れは消えていく幻影

幻影に惑わされることなく自分と他人をただただ、ひたすらに生かす

精神の質は人間によって違うのではなく、時によって違う

同じ人間でも時期によって大きく異なる

ただ言えることは、精神の優秀さには自由が欠かせないということだ

 

 

 

 

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