私は加害者だ

私は差別をした

私はいじめをした

無自覚のままに

 

「太っているのは恥ずかしいこと」

「不細工は見栄えが悪い」

「愛想が悪いと嫌われる」

「笑顔で応対しないのは失礼だ」

「同性を好きな人は気持ちが悪い」

「勉強ができないとダメな人間になる」

「病気でもないのに学校を休むのは悪いこと」

「みんなと同じことをせず集団を乱す人は迷惑」

「家族に犯罪者がいる子はきっと同じようなことをする」

「外国人のお母さんだからちゃんと教育されていないかも」

「先生や先輩に睨まれている子と一緒にいたら自分まで睨まれる」

「あの家は怪しい宗教を信仰してるから変なことを言われるかも」

 

親に、家族に、地域に、社会に、テレビに

言葉で、態度で、雰囲気で、

私達は幼い頃から刷り込まれてきた

子ども達はちゃんと大人の言うことを聞いていた

だから”該当者”は悪い人だし

”該当者”は直したり努力したり隠したりしなければならないものだった

”普通の子ども”はそれが常識だった

 

その常識は正義となって子ども達同士を見張らせ、逸脱者を晒し上げた

♪いーけないんだ、いけないんだ、せーんせーにいってやろ

そんな節までつけて”該当者”という悪を倒そうとした

自分が該当者だと気づかぬ子や

自分が該当者だと自覚しながら直しも隠しもしない子は

小学校という集団の中ではまるで犯罪者のように扱われた

悪い子、変な子、可哀想な子……

 

大人になってこうして文字に起こしてみると

なんて残酷で、なんて非人道的なことをしていたのかと

情けないし恥ずかしいし申し訳ない気持ちでいっぱいになる

 

ちゃんと教えて欲しかった

ちゃんと知りたかった

ちゃんと内側を見ればよかった

 

もう、手遅れだ

私は差別をしていたんだ

私はいじめをしていたんだ

いつ、どこで、誰に、どんなふうにしたかわからない

でも、私が常識に当てはめ”該当者”を発見し正義になろうとした時

必ずその人を傷つけてしまっていたのだ

私は私の罪を認めなければならない

 

小学校の頃の私は

”該当者”にならないようにしていた

本当は私も”該当者”の瞬間があったのに

他人から”該当者”だと思われないように

自分を自分で罰し、本心を抑圧し、本性を隠しながら生きていた

嘘をつき、虚構の自分を見せていた

”該当者”の仲間ではないフリをしていた

 

そうやって

”該当者”から遠ざかり、”該当者”である私から遠ざかっていくうちに

姑息で卑怯で汚い人間になっているような気がした

そんな風に自分を感じ出したのは

学級崩壊が起き、動乱の日々の中で過ごした4年生の時だった

気が付けば信用できる人が誰もいなくなっていたのだ

「他人がおかしいんじゃない。私がおかしいんだ」

「自分が病気だからって加害者になるわけがないと、自分を守ることだけを考えていたんだ」

そう気づいた

猛烈に恥ずかしかったし、猛烈に後悔した

5年生のクラス替えで私はそれまでの私を捨てた

友達に対する見方、考え方、態度を改めた

 

差別は差別を生む

しかも、公教育の中で音も形もなく爆発的に増大する

 

 

 

 

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