マジョリティ社会が”恥ずかしい体”を生み出す

うちには私以外に体に傷を持った人間はいなかった

保育園でも私以外に手術痕のある子はいなかった

小学校でも私以外に水着から切開痕がはみ出ている子はいなかった

中学校でも私以外に隠せぬ傷痕に修学旅行の浴場で半泣きになる子はいなかった

高校でも私以外に変色した皮膚が透けることを気にする子はいなかった

大学でも私以外に体の傷を理由にデートを怖がる子はいなかった

 

 

私は私以外に同じような体で困っている人を知らない

情報としては知っていても私の周囲にはいない

 

健常者、健康な人間だけに区切られた社会の中で生きてきたから

私だけが恥ずかしい体だった

 

支援学級、支援学校、作業所……

 

そうして区切った方が

”全面的に面倒を見ている健常者”は楽かもしれない

 

そうして別世界にいた方が

”自分らしく生きられる”と病人や障害者は言われてきたかもしれない

 

どう考えても

みんなが生きやすいように社会の方を整備する必要があるのに

 

誰だって病気になる

誰だって障害を負う

 

病気になったら障害を負ったらここにはいられない社会に未来はない

 

病人や障害者は何の役にも立たず世話になってばかりなのか?

障害を持った子どもの寝顔を見て癒される健常の親はいるでしょう?

病気を患った友人に何かを相談することもあるでしょう?

 

病人だって障害者だって役立たずではないし役立たずにしてはいけない

 

 

自分より大変そうな人間を見て安心したいわけではない

そういう人を見るのは辛くて嫌かもしれない

 

でもそう感じるように仕立ててしまっているのはマジョリティの社会だ

 

 

この世界には本当にいろんな人が生きてる

それを当然の現実として肌で感じられる社会の中にいれば

自分の体を恥じながら生きるなんておかしなことがなくなるだろう

 

 

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